卒業研究の締め切りが見えてくると、来年度の研究室スタッフの調整時期になる。この時期は、一番やきもきするときで、来年度の配属学生の言動に一喜一憂することになる。今年度もついにその時期が来た。毎年の経験を踏まえて、より効果的な募集を行おうとして、色々苦心するのであるが、今年も大変そうだ。
研究室を運営して十年以上経つが、明らかに学生気質が変わっている。端的に言うと「志がない」。つまり、自分の能力を高め、大きな目標に挑む、そんな学生が極端に減っている。自分の力で出来る程度の課題を手軽にこなすことだけを目標にしている。研究室スタッフとして一緒に仕事が出来るのは、5%以下である。
基礎的な能力が低いわけではなく、何でもそつなくこなすが、意識的には非常の幼いレベルの状態である。とある学生に聞いたところ「この研究室は怒られるからイヤ」だそうだ。それが、横着な学生ならいざ知らず、成績が上位の学生の意見で、クラス全体がそういう意識だろう。本当に情けなくなってくる。小学生でもあるまいし。
実はこの手の学生が無理して研究室に入ると、予想外に伸びるときもあれば、予想通りはぐれるときもある。この点では研究室の指導次第で、教育の効果によって成長の可能性もある。ただ、共同研究のスタッフを確保するという面からは、この様に人材の確保がままならないのは、本当に困ったことだ。どうしたらよいのだろう。
で最近読んだ経営の本からの知見。まず共同研究をある程度展開するには、それなりの人数のスタッフが必要。ただしスタッフは、自主的に動けないと手間ばかりかかって戦力にならないので、誰でも良いわけではない。しかし、初めから望むべきスタッフが来る可能性は非常に低い。実は、これって企業の人材不足とまったく同じ。
それで、出来る限り門戸を広げて、少しでも可能性のあるスタッフ予備軍から人材を確保する。その後は、研究室の戦略的な流れの中で、潜在的に持っている意識を引き出すようにする。そのためには、バイトのような誰でも良い的な募集はダメで、人材として育てることを前提にして、最低限のやる気だけは持つ学生を確保することが大切。
まあそうは言っても、この風潮で表層的な面白さや興味に慣らされている学生には、この様な研究室の方針はなかなか理解されない。絶対数が不足することが多いが、バイト的に無理して入れても、相手もこちらも不幸な状態になるだけなので、これだけは避けるようにしないと、いつも残念な思いだけが残ることになる。
経営戦略の要諦は、「絞り」と「集中」だそうだ。
研究室として、何が目標なのかを明確にして、勝ちを取るための組織を作ることを考える。頭数だけ揃えるのではなく、少数精鋭のスタッフが能力を何倍にもレバレッジをかけて、背伸びをしながら、自己成長とともに共同研究に対応するようにしてゆく。
運営責任のある自分は、共同研究活動の絞込みを行い、長期的な戦略に立って研究活動を進めてゆく。ただし「研究室らしさ」を失ってしまっては意味が無いので、可能性は担保しながらも、集中的な活動を心がけるようにする。頭数に頼る戦略は無意味であり、成果を出せる研究室にすることを最重要課題とする。
0 件のコメント:
コメントを投稿