研究室で学生を指導しているとき、彼らを追い立てるために「社会はもっと厳しいのだから」と言うことが多い。それで、学生も素直にそれを聞いてくれて、一応、それなりの努力をして卒業してゆく。本当によく努力したなと思えるのは、厳しく言うと半分程度だろう。このまま社会に出て大丈夫か?と言う学生の方が多いので、内心、不安いっぱいである。
実は、研究室のOB会を初めて行い、10名程度が集まってくれた。事の起こりは、昨年度の卒業生と言い出したことなので、半分は今年就職した卒業生たちである。そこで新入社員の彼らが口にするのが「会社の方が楽々」と言い、定時に帰れて(研究室は夜遅くまで残らせた)、開発には給与が出て(もちろん研究は教育の一環)、だそうな。
学校では、色々と頭をひねらないといけない意地悪な課題を、何とかこなしていた彼らだが、会社での仕事はシステム的に整理され、まあ誰がやっても出来るようになっているので、楽々だと言う。まあ、彼らはそれなりに名の通った会社にいるので、自転車操業的ではなく、まあ組織が作られ、誰がやっても良い形式を持っているようだ。
きっと、自虐的かつ謙遜的に言っているだけで、自分の努力さ必死さを隠しているだけなのかも知れないけど、本当にそうかな?本当にそれで良いのかな?と思えてくる。そういう事言うのは、IT系に多いが一概には言えない。一方、もう少し小さな組織に就職した学生は、ちょっと違って、職人や先輩を尊敬し仕事の大変さや充実さを話している。
実は、学生時代にとことん必死になった学生は、就職しても大変で充実しており学ぶべきところが多いと言い、学生時代にまあ適当に過ごした学生は、就職しても楽々で暇ばかりで学ぶべきところが少ないと嘆く。実は、この違いは会社の違いではなく、その組織に入った学生の取り組みの違いなんだと思う。
どんな状況でも、学ぶことを目指せば学ぶことが出来るし、表面的な対応だけでは何も得るものは無いだろう。今時の学生さんなので、本音を言っているとは思えないけど。やはり、状況をどのように受け止めて活動するか、それこに充実感の違いが出てくるのだろう。生きていくための手段としての仕事ではなく、仕事をしてゆくために生きているのだと、思いたい。
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